エリア:フィレンツェ:大聖堂 観光スポットジャンル: 世界遺産 街並み・街歩き 観光名所・旧跡
観光の特徴: 必見! 歴史・文化 カップル ファミリー 子供連れ ひとり旅 シニア グループ1376年~1382年にかけてアンドレア・オルカーニャによって、会議や公共のセレモニーのために建築された。後に彫刻家の開放アトリエとなり、コジモ1世の統治下には現在のオープン展示場となった。7つのアーチの下には、チェッリーニのブロンズ像”ペルセオ”やジャンボローニャの”サビーネの鼠”などの傑作がある。中央階段の右のライオンはローマのメディチ家から移転したもの。またポルティコ内右側の壁には、フランチェスコ・ステファノ・ディ・ロレーナ大公の碑文があり、1750年に3月25日が元旦だったフィレンツェのカレンダーを、一般のカレンダーに替え、採用した決定を書き示している。
チェッリーニ作。台座を含め3,20mの高さがある。そのイストリア産の台座には神話のレリーフが施され、その上に一本足で立ったペルセオが、切断されたメドゥーサの頭部を掲げているブロンズ像。
ジャンボローニャの大理石像。この模型として実物大の石膏像が、アカデミア美術館で見学できる。後方も同彫刻家の作品
ギリシャの英雄ヘラクレスがケンタウロスを征服した像。ケンタウロスの硬直した体と、動きの表情が見事に表現されている。ジャンボローニャの作品。
古代ローマ、フラヴィア時代の像。オリジナルは2世紀のギリシャの像で、ピオ5世がコジモ1世に寄与したもの。
メネラオのスタイルを再現した古代ローマの像。
ロッジャ後方壁に並んでいる6つの像は、15世紀半ばに発見されたローマ女性の像であり、ローマのフォロ・トライアーノから1789年にフィレンツェに移転された。左側の2人の像は人物が確認されていないが、3番目の像は、西暦9年に古代ローマ軍を征服した将軍アルミニオの囚人妻である(写真)。残り3人は上流階級のローマ女性の像で、質のよい大理石で丁寧に制作されている。
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